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モンテッソーリ科学的幼児教育の歴史的萌芽と展開

モンテッソーリ教育、背景と展開

 幼児期に軽微な発達の遅れに気づいた場合、早い時期から集中的に訓練すれば追いつくのではないかとの多大な期待が問題を生じさせます。しかしながら、現実的には社会全体の高文明化などの要因により、境界知能の人たちの就労の場がますます少なくなってきていることから、このような期待も理解できないわけではありません。

 障害およびその近辺の人たちの教育はどうあるべきか。これは、人類の歴史において蓄積されてきた実績の積み重ねをベースに、最新の成果を積み重ねていく、これが最も妥当性の高い選択枝と考えます。

 人類の歴史における科学的障害児教育は、イタリアのマリア モンテッソーリに始まります。元々、知的障害者のための教育メソッドが、健常者ではさらに効果的ということが分り、障害者、健常者を問わず、世界で最も信頼と実績のある教育法として知られています。最新脳科学の視点から、モンテッソーリメソッドを見直してみると、驚くべきことにそのメソッドは、最新脳科学の視点からも納得できるものであるということです。

 脳の発達においてシナプス結合が一つの重要な要素ですが、そのプロセスを以下に説明します。

1.胎児の初期の脳は、約1000億個のニューロン(脳細胞)を作り出し、これは必要な数よりはるかに多いものとなっています。余分なニューロンはやがて除去されます。

2.ニューロンからは、軸索が伸びて、別のニューロンにとどき、信号を伝える仮のシナプス(結合)を作り出します。軸索はいわゆる配線にあたるものです。この仮のシナプスは、実際に使われるよりも数兆以上も多く作られます。

3.電気的な刺激(信号)が伝わると、シナプスは強化されます。一方、信号が伝わらなかったシナプスは退化していきます。

4.次に発達の第二段階が始まります。信号が伝わると、軸索と樹状突起との結合部すなわち(仮でない)シナプスが増加したのですが、感覚器官からの刺激による信号が、シナプスを残したり消したりしながら、脳の配線を構成していきます。

 このシナプスの整理が最も盛んなのは3歳ぐらいまでと言われています。余分なシナプスを削除しながらの整理が行われることで、脳の処理速度が上がっていきます。触覚、聴覚、味覚、視覚、嗅覚の五感への刺激が何よりも大切なのです。獲得する感覚が増えれば増えるほど仮のシナプスの数は増えますので、後に行われる「シナプスの整理」で効率的な脳が形作られやすくなります。感覚を育てることを第一義とするモンテッソーリ教育は、脳の発達プロセスと整合が取れたものであり、感覚統合をベースにした教育であるといえるのです。

 

 これから説明する「敏感期」における子供の成長を助けるものとして、モンテッソーリ教育で使用する教具があり、概念を説明しておきます。その教具は比較的単純ですが、科学によって裏付けられた物事の本質は単純なことの積み重ねです。このモンテッソーリ教具の単純性ゆえに、そのあとの展開は、無限であると言ってよいでしょう。つまり、子供が提示を受けた教具について、子どもたちがそのとおりできたとしたら、つぎに子どもたちは、そうした教具を別の観点から分類・序列したり、また、別の教具と組み合わせて使ってみたりと、今度は創造的作業に移行していくのです。その点、遊び方が固定化している、玩具や教具とは本質的に異なります。科学的に秩序的な模倣ができる教具であるからこそ、後で説明する模倣ミスすなわち創造が存在し得るのです。この点が科学的に秩序的でない教具とは根本的に異なるということです。このような観点から、モンテッソーリ教育における教具は、科学的に理にかなっているといえます。モンテッソーリが科学的教育法の歴史的始まりと言われるゆえんなのです。大人が教具の提示を行うこと、それを子どもが模倣すること、そしてそれがうまくいったら、次に創造という作業に取りかかるということ、これら一連の作業展開につき順を追ってたどっていくことは、本来の創造力を養うことになり、ひいては未来の文化の創造の担い手となることでしょう。

 モンテッソーリが発見した「知的障害があるとされる幼児が床に落ちたパン屑でしきりに遊ぶ姿」を基礎に、感覚的な刺激を求めることを認め、指先を動かすような玩具を次々と与え、彼らの治療を試みた結果がモンテッソーリ教育の基礎になっていると言えます。生まれたばかりの赤ちゃんは、体を自由に動かすことが出来ないわけですが、ここから発達するに従って、様々な刺激を通じて感覚を得ていくのです。体をコントロールすることを無意識に身に付けているといえます。例えば、乳児は手が触れられるようになると、そこを一生懸命触ります。まず、手を口にもっていき、手を一生懸命しゃぶります。手と手がくっつくようになると「もみ手」をしますし、足に手が届くようになると足を一生懸命抱き寄せたりします。

 モンテッソーリが以上の感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の主体性を重んじることでした。子供の主体性を重んじると言うことは、興味あるものを入り口として、その中での作業を通し教育的要素を盛り込むんでいるということです。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその主体性が尊重されるべきで、大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供の「自由な環境」を重要視すべきとしたのでした。子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけました。子供には、自己成長発達力(自己開発力、自己教育力)が生まれながらにして備わり、その力によって自らを発達していきます。その力の具体的な現われが「敏感期」です。

人類は、自然界にある、ばらばらな物を集めて、それらを分類した上で序列化したのです。すなわち、人類は、自らを取り巻く環境に変化を加え、自らが過ごしやすいように環境側を改良することを行い続けてきたのです。そのなかで、周りの環境を秩序化する力、換言すれば「秩序の感性」を形成するというプログラムを遺伝的に獲得したと言うことができるでしょう。遺伝子が与えてくれた、人間を人間たらしめるための重要な時期が「敏感期」なのです。

 「秩序の感性」について、もう少し詳しく考えていきましょう。あらゆる生物は、環境への適応を目指して進化していきます。天敵に捕食されないように、また、捕食の際に相手に見つかってしまわないように、長い年月をかけて、体を変化させてきています。現在のものとなるまでには、長い年月がかかっています。遺伝子レベルで淘汰が行われ、それが体の形態として定着するのに相当な時間を要しているのです。遺伝子レベルにおける「自然選択」、すなわち、生物の体をとおして読み取った環境からの情報により、何を残すべきかという選択を常に行っているのです。それは、生物自身が直接環境を読み取り、それをもとに変化した生物だけが生き残ったという単純な個体の淘汰理論によるものではないのです。

 ジャングルを例にとりましょう。シマウマの群れに近づき捕食しようとするトラは、気づかれないよう木々に溶け込むような色になっています。一方シマウマも、地面に生い茂った茂みに溶け込むよう、同じような縦縞模様になっています。あらゆる生物は、こうした遺伝子レベルでの自然選択によって、日々ほんのわずかずつ、しかし着実に進退を繰り返し、自らの形態を進化させる長い道のりを歩んでいるのです。遺伝子は、少しでも先へ生き延びるために、自分の体が絶滅してしまわないようにと、その体を環境に合わせて変化させようとしているのです。

 生物の形態の進化は、遺伝子の複製の繰り返しと希に発生する複製ミスによって行われます。遺伝子は、環境に適応している場合については、常に安定を目指して、同じ複製を繰り返しますが、まれに複製ミスを起こします。これが突然変異です。この突然変異の遺伝子は、進化に大きな影響を与えます。それがたまたま自然選択されたことにより、そのときの環境に適応したとするならば、その突然変異した遺伝子がその後も選択される可能性が高いからです。

 このことは、「進化」という概念において、「複製」と「複製ミス」という二つの概念がいかに重要であるかということを意味しています。複製を繰り返さないと複製ミスは行われません。すべての遺伝子は、基本的には、複製を繰り返すことで安定しますが、大きく変化してしまった環境に適応するためには、複製ミスも必要なのです。

 次に環境への適応とは逆の視点となりますが、人間が他の生物と大きく違う点として、人間は自らの身体の環境への適応を待たずして、自分に合わせて環境の方を変えるというすべを獲得したという点です。人間は、遺伝子が長年かけて環境に適応する体をつくることに代えて、自らの環境を手っ取り早く自分の都合の良いように変えてしまうことができるようになったのです。

 では、環境を変えるとはいったいどういうことなのでしょうか。この視点に関して、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスは、環境文化の生成とその進化は、生物の生成と進化の原動力となっている遺伝子の複製と複製ミスと同様の原理によって成り立っていると指摘しました。つまり、環境文化にも複製と複製ミスが存在し、その繰り返しにより環境文化が生成され進化しているというのです。

 家を例としてとり上げます。誰かが家を立てたのを見て、他の人はそれを真似して、それがどんどん広がっていって、ある一定の環境文化が成立したと考えるのです。これに、たまたまある人がしてしまった失敗が、予想外の利便性をもたらす場合もあるわけです。つまり、そこでは他人の行動の模倣すなわち複製が文化の形成の原動力となり、そこに若干の複製ミスが生じることによって、その文化は進化を遂げていくということなのです。文化の複製ミスとは、偶然あるいは意図した試みが、結果として有効となることであり、それがやがて正解として複製されていくということを指します。

 遺伝子が環境に適用しようとする作用も、人間が環境文化の方を適応させようとする作用も、複製と複製ミスを繰り返し進化するという点では、同じ作用と考えることができます。いずれも、環境への適応すなわち安定を目指してひたすら複製と複製ミスを繰り返しているのです。この意味は、その作用自体があたかも意志を持ってその目的に向かっているかのように、そうした作用を繰り返すということ、すなわち擬人化です。もちろん遺伝子も文化も、それ自体に意志があるわけではありません。リチャード・ドーキンスは、こうした文化の複製子を「ミーム」と名づけました。

 人間は、自由な記号をつくり出す能カによって抽象的に考え、言葉を用いることを通じて、個体が獲得した知識を広め伝える可能性が展開されてきたのです。人聞のあらゆる文化は、動物にみられない機能に基づいています。それはとりわけ抽象思考と言語の使用に基づいているということなのです。そして、複製されるものが世の中に出回ります。そうすると、人々は、何を選択するかべきかという新たな課題に直面します。ある人は、利便性の高い都会の家を選択するかもしれませんし、ある人は、広さに余裕のある郊外の家を選択するかもしれません。それぞれがそれぞれのポリシーでの選択し、共通の人々で共有すればよいことです。これを「ミームの共有」と言います。文化はこうした「ミームの共有」によって定着していくと言ってよいでしょう。

 このミームの共有は、時や場所によっても異なります。さまざまな時代や場所でさまざまな生物が存在するのと同様に、さまざまな時代や国々で、さまざまな文化が存在するのです。生物個体は、どの遺伝子を選択し共有するかで固体の特性が変わってきますが、それをわたしたちは進化と呼んでいます。進化とは必ずしも良い方向に向かっているということではありません。その時の環境にふさわしくない特性を表現することもあるでしょう。残念ながら、文化の進化も必ずしも良い方向にのみ向かっているとは言えません。歴史的に、多数の人々に悪いミームが共有され、悲惨な歴史を繰り返したこともありました。わたしたちは、このようなことを繰り返さないためにも、ものごとをしっかり整理し、何を共有すべきかを判断していかなければなりません。こうした「ミームの共有」を適正なものにするためにも、模倣による共有の原動力である「秩序の感性」を正しく養う必要があるのです。そのためには、何よりも「敏感期」を大切にした教育が必要であると言ってよいでしょう。

 先に述べたように、私たちは環境への適応を目指して進化していきますが、さらに、自らの取り巻く環境を適切なものへと変えていくという能力も養うことができるようにプログラムされているのです。「秩序の感性」は、先に述べた家の例でも重要となります。例えば、祖先が住むための家を作ったとき、まず素材を集めたでしょう。家を構成する木も長さのそろったものを集めるでしょうし、屋根をつくるための草木も色のそろったものを集めてきたでしょう。大きさ、形等の属性がまちまちであると、不都合が生じるからで、「秩序の感性」が重要となるのです。「秩序の感性」を養う人間が人間たる時期それが「敏感期」なのです。「秩序の感性」を覚醒する時期として「敏感期」という、生まれてからの数年間の期間が与えられていると考えられるのです。 

 「秩序の感性」によって自然界にあるものを分類・序列することによって、私たちはより良い暮らしを手に入れることができるようになったのです。しかしながら、それらが多くの人々に広まり、いわゆる環境文化を形成するようになるまでには、もう一つ重要な能力が必要となります。それが、他人の行為をまねる「模倣」の能力です。模倣するためには、よく観察する必要があります。それは、「感覚の敏感期」において養われた観察力によって可能となります。

 人間は「模倣」により、類似の物を手に入ることことができるということを知ったのですが、人間は、模倣に必要なことを頭の中で分類・序列し、どんな材料をどれだけ用意しなければいけないかを考えるのです。そのためには、素材を抽象化する必要があります。そして、自分が見た素材を抽象化することによって、それと同じようなものを集めてくればよいということに気がつくのです。こうした抽象化する能力は「感覚の敏感期」において養われるということなのです。

 この抽象化をさらに高度な思考に高めるための道具が、記号と言語なのです。記号・言語によって人間の行動はさらに合理化されるのです。あらゆる文化の発達の土台をなしている伝統の集積は、いかなる動物にもみられない機能に基づいているのです。特にそれは抽象思考と言語の使用に基づいているといえます。人間は、自由な記号をつくり出す能カによって抽象的に考え、言葉を用いることによって、個体が獲得した知識を広め伝える、それまてみられなかった可能性が開かれたのです。赤ちゃんが誕生とともに、特に母親の言葉を認識するのは、既に子宮にいるときから人間の声を聞いていたからと考えられています。子供に言語獲得能力が備わっていたとしても、周囲に言葉が存在している環境がなければ、子供は言葉を獲得することはできないのです。「言語の敏感期」は、聴覚が機能し始める妊娠7ヶ月ころから始まると考えられています。 

 もし、言語化されないままある物を集めようとすると、頭の中には自分が最初に見た物のイメージしかありませんので、その特定の物だけを集め続けるでしょう。しかし、頭の中で、自分が集めるものは、「木」と「草木」と「石」と言語化して記憶していると、見た物について合理的な判断することが可能になります。こうした言語化する能力の養成は、敏感期で言うと、「言語の敏感期」において養われるといえるのです。

 次に記号・言語化が人間の文化とどのように関わっているのか見てみましょう。文化とは、人の頭の中でなされた分類と序列の具現化を意味していると言ってもよいでしょう。人々による模倣の結果、周囲には同じような水準の物がたくさん出現してきたのでしょう。そしてそれが、ある地域の文化というものを形成したのでしょう。文化は模倣なしには生まれなかったと言えます。 

 模倣においては、高度な分類と序列化の能力が要求されます。こうした高度な分類・序列化には論理性が必要となってきます。こうした論理性は「数の敏感期」において養われるのです。このように、「模倣」には、自分が見た物を「抽象化」し、それを「言語化」し、さらに「論理化」するという一連の手続きが必要なのです。

 人の模倣行為は「感覚の敏感期」「言語の敏感期」「数の敏感期」をとおして、その力を増していくわけですが、この「模倣」という概念がもともと身体のどのようなシステムによって生まれてくるのかを説明できる偉大な発見がなされました。

最近の脳科学のめざましい発達により発見がなされた「ミラーニューロン」という神経細胞が、モンテッソーリ教育の正しさの1つの根拠になっています。「ミラーニューロン」は物まね神経細胞と呼ばれることもあり、物まねすなわち「模倣」が人間のどのようなシステムによって生まれてくるのかを説明する偉大な発見です。単に医学に留まらず、今後、心理学や社会学にまで影響を与える偉大な発見なのです。この「模倣」に関する行為が、モンテッソーリ教育でいうところの「感覚の敏感期」「言語の敏感期」「数の敏感期」と密接に関わることから、この発見がモンテッソーリ教育の根拠の1つになっているのです。

 ミラーニューロンは1996年にイタリアのパルマ大学で発見されました。それは、発見者のジャコーモ・リッツォラッティらが猿の神経細胞活動に関する実験を行っていたときでした。猿の前頭葉のある領域が、猿が自分自身で作業するときに活動するだけでなく、それと同じ作業を人が猿に見せた場合にも、猿は自分自身作業していないにもかかわらず、自分自身が作業したといきと同じように前頭葉のある領域が活動するということがわかったのです。

 まず、猿にお皿の上の食べ物を食べさせます。このとき前頭葉にある、特定領域にニューロン活動が確認されました。今度は、人が同じようにお皿の上の食べ物を食べているところを猿に見せます。そうすると猿が自分が食べたときと同じように、前頭葉のその領域にニューロン活動が確認されたのです。

つまり、他者が行っている行動を、あたかも自分の行動であるかのように感じ取っているニューロンなのです。「ミラーニューロン」の由来は、このニューロンが、まるで鏡のように反応することによります。ミラーニューロンは、他の人の行為を見ているだけで、脳は、自分の行為であるかのような反応を示すのです。現在、ミラーニューロンシステムは、乳児が他人の行動を理解したり、真似したりすることにも役立てていると考えられています。モンテッソーリ教育の乳児領域においてキーになる発見として、このニューロンは脚光をあびているのです。

さらに、暗闇の中で猿に餌をとらせたとします。そうすると、猿は、自分で餌をとっているところが見えないにもかかわらず、前頭葉のその領域にニューロン活動を確認することができたのです。暗闇においても活動することから、視覚システムからミラーニューロンでなくても、触覚システムからミラーニューロンでも、このニューロンは同等の働きをするということなのです。視覚情報のみを扱っているニューロンではなく、触覚、聴覚の働きを含めた知覚全般を扱っているニューロンであることがわかったのです。

 ミラーニューロンについてさらにその後の研究により、聴覚ミラーニューロンも発見されました。聴覚ミラーニューロンとは、他者の動作を見たとき応答するだけでなく、その動作にともなう音を聞くだけでも反応するニューロンです。この聴覚ミラーニューロンは言語を理解する上で極めて重要な意義を持っています。人間におけるミラーニューロンが、ブローカ野と呼ばれる言語領域近くにおいて見つかっていることから、言語を理解する前段階における身振りなどのコミュニケーションの基礎になっているのではないかとも言われています。

モンテッソーリ教育では、幼児教育において、動作に言葉を添えることが重要としています。これは、まさに、視覚ニューロンと聴覚ニューロン(視聴覚ニューロン)が裏付けとなります。動作をキーとした視覚と聴覚の連携を促すことにより、言葉の習得における複数の感覚器官の連携がなされるのです。

言葉だけでなく、実物や動作に言葉を添えるかたちであると、子どもは生き生きとした表情を見せることが多いです。視聴覚ミラーニューロンがあるからこそ、視覚的、聴覚的に表現されたドラマや映画の主人公にどっぷりとはまってしまう人間の習性があリ、毎日のようにドラマや映画はつくられているのでしょうね。ボクシングやプロレスなどの格闘技、様々なスポーツ観戦においても、人間の脳は、ミラーニューロンの働きを抑えることはできません。手に汗握り、思わず力が入りますよね。これを利用したものが、イメージトレーニングでしょう。

 

 いずれにしても、ミラーニューロンは、他者の行動の理解や模倣につながっていることは間違えないようです。モンテッソーリ教育では、「日常生活の練習」という運動の発達を促す教育がありますが、1歳半の模倣期を活用します。模倣期とは大人の真似をしたい時期のことです。この時期にミラーニューロンが大いに活用されるのです。モンテッソーリ教育が、子どもにとって無理のない教育法であるといわれる所以がここにあります。生物学的な裏付けがあることは、生物学的に自然であり、子どものストレスを最小化できるのです。

 さらに、ミラーニューロンには、心に関連する問題解決の糸口ともなると言われているのです。人になぜ「心」と言うものが生まれるのかということがミラーニューロンシステムの発見で、その解明において大変重要な糸口となるのです。心に関する仕組みを「心の理論」と言い、本来は心理学の分野であり古くから研究が続けられてきましたが、この「心の理論」の分野においても、ミラーニューロンシステムは今後大きな貢献をするでしょう。人と共感したり、人の気持ちが分ったりすることにつながるということです。ミラーニューロンシステムの発達時期と照らし合わせてみると、3歳ごろまでは、ミラーニューロンシステムが未熟なため、お話しの中の登場人物を理解することが十分にできません。これに対して、4歳から5歳も過ぎるとミラーニューロンシステムがほぼ成熟し、その登場人物の立場や気持ちを自分の立場や気持ちに共感できるようになってくるというのです。

 このことに関して、「サリーとアンの課題」というのがあり、以下に示します。このテストは自閉症患者の診断にも使用されるものです。

 

<サリーとアンの課題>

  ・サリーは、カゴと玉を持っています。

  ・アンは、箱を持っています。

  ・サリーは、持っていた玉をカゴの中に入れて、部屋を出ます。

  ・アンは、その玉をカゴから取り出し、自分の箱に入れます。

  ・箱を置いて、アンは部屋を出ます。

  ・そこへ、サリーが帰って来ました。

  ・さて、サリーは、玉を出そうとしてまずどこを探すでしょうか?

 

 3歳くらいまでの子どもの場合は、自閉症児でも「箱の中を探す」と答えてしまうことが多いのです。サリーの心理を理解していないからで、自分が知っていることを答えてしまうのです。しかし、健常児であれば、4歳から5歳にもなると、必ずと言ってよいほど、「カゴの中を探す」と答えるのです。これは、サリーの心理を理解しているからです。自閉症児はサリーの心理を十分に理解していないために間違えることが多いのです。

 私たち大人は、他人の立場や気持ちを理解したり、それに共感したりできるような子どもに育ってほしいと思います。そして、こうしたことはさまざまな人間関係の中に子どもを積極的に参加させることによって向上していくと考えていると思います。ミラーニューロンの存在を考えれば、こういった考え方は正しいといえるでしょう。

子どもをお友達を遊ばせるのも、人間的に成長して、人の気持ちが分かるようになってほしいという大人の願いでもあります。また、社会人になったときに多くの局面で課題に向かい合い解決してほしいと願っているのです。サリーとアンの課題はごく一例であり、多くの局面でそれぞれが異なる多大な心理課題、さらに複雑な心理課題が存在しているのです。課題の解決は多大な模倣の積み重ねから導き出されるものなのです。他人の立場や気持ちの理解や共感が、ミラーニューロンシステムに起因するということであれば、人間関係の中でのトレーニングを行う前に、まずミラーニューロンシステム自体をしっかりと構築してあげる必要があるということになります。

 ミラーニューロンシステムの発達は、「感覚の敏感期」の活用にかかっていると言っても過言ではありません。なぜなら、ミラーニューロンシステムは1歳になるまでにあらわれ、4歳から5歳くらいまでに構築されるとすると、それはいわゆる「感覚の敏感期」にぴったりと当てはまるということになります。「感覚の敏感期」は、体験を秩序立てて見る目、考える力や法則的なものの見方や観察力、問題解決能力や創造力を育む上で重要な時期なのです。

協調性やコミュニケーションのことを考えて、お友達の中へ入り込むことばかりに気をとられるのではなく、まずは、「感覚の敏感期」を大切にし、しっかりした「秩序の感性」を身に着けるようにすべきではないでしょうか。「秩序の敏感期」は生後6カ月ぐらいから始まるものですので、「感覚の敏感期」に身につける体験を秩序立ててみること、分類・序列することと密接に関連しているのです。体験を秩序立てる、分類・序列するという経験をより多く行うことで、ミラーニューロンシステムは発達していくのです。

そして、成熟したミラーニューロンシステムは、やがて6歳以降にやってくる「文化の敏感期」によって、さらに実社会への応用性が高まり、社会性のある子どもへと成長していくのです。

 

 

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発達障害療育の語源
発達障害療育の創始者
医学博士 教育者   福祉家
マリア・モンテッソーリ 

医学博士 ノーベル賞(辞退)マリア・モンテッソーリ

 モンテッソーリ教育
 脳科学-保育連携プロジェクト
      松代信人

医学博士(脳科学) 
    学術博士(認知情報科学)
各千葉大学
元千葉大学医学部特別研究員

 モンテッソーリ教育
 脳科学-保育連携プロジェクト
  主席教育員 常木香苗

モンテッソーリ教師
(日本モンテッソーリ教育
総合研究所
0~3歳資格
3~6歳資格)
保育士

  雑誌での対談(才能・メンタルについて)

右(川崎麻世氏)
左(サイト運営者)松代信人

   出版(2017年3月1日発行)

松代信人著  Galaxy Books
 

   公的専門機関紙に掲載

自衛隊専門機関紙 おやばと
(2013年11月号)

信頼できる機関として、自衛隊内部機関誌でご家族に紹介

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